アフリカ大好きマルチリンガル・りさぴょん(@LisapyonKenya)です。
カンボジアの孤児院で出会った同い年の少年に会い、国際協力の道に進むことになった私ですが、孤児院の支援をすれば、子どもが幸せになるという勘違いをずっとしてしました。あー馬鹿だ。
今日も孤児院に寄付や支援をすることがどう子どもに影響を与えているのか、説明します。今日も孤児院が子どもにとってベストの場所であるかみんなと一緒に考えたいと思います。
孤児院が子どもに与える悪影響とは?
家庭で育った子どもとの比較で学術的に挙げられるのは、以下です。
- 精神的、身体的、知的な発達の遅れ
- 低栄養
- 低IQ、低学力
- 愛着の低さ、愛着障がいの発生度の高さ
- 虐待やネグレクトの高さ
- 交流や刺激の低さ
- ソーシャルスキルの欠如
- 家族、コミュニティ、社会からの孤立
日本ではこれに加えて、
- 犯罪率、自殺率、早期妊娠率の高さ
- 大学進学率の低さ
- 正社員への雇用率の低さ
が挙げられます。
これらの悪影響は全部関係していると思いませんか?
小さい子どもは少ないスタッフに相手されずに、保護者と呼ばれる人からの交流や愛情が不足し、愛着障がいを持つこともある。人数不足の施設はスタッフは虐待をしたり、比較的年齢の高い中学生高校生は放置されたり、塾に通えないし、食事は毎日毎食給食のようなものを食べて、施設を出たらひとりぼっちでどうやって自立してよいかわからない。
勘違いしてほしくないのは、ここで悪いのは子どもでもなく、施設のスタッフではなく、このような子どもの社会保護を提供している社会であり、政府でもあります。
子どもが施設に”保護”された。
と、思われるかもしれませんが、家族と一生切り離されることで、人生の大きな核を失います。
私が協力隊時代にケニアで一緒に活動していた孤児院での子どものストーリーを紹介します。
16歳の女の子(仮名:ジェーン)の例
ジェーンは母親が育児を放棄したため、誰も面倒を見てくれるひとがいないため、施設にたどり着いた。私が初めてジェーンを見た時は、小柄なシャイな女の子。しかし、とても親切であった。だんだん仲良くなり、日本のことをよく聞いてくれた。教会でもあるのこの施設では、子どもたちはお客さんが来たときに歌を歌うことが多い。先頭に立ち、彼女が歌いだして、驚いた。小柄な彼女から響きのある歌声が。鳥肌が立った。このような才能があればいろんな道が彼女のあるのではと。
隊員が終わって、ケニアに里帰りしたときにこの施設にも遊びにいった。久々に会えた子どもたち。その中にジェーンもいた。なんとか高校を卒業した彼女は、家族のもとに帰ることなったそう。そう、同じ市内のオザヤに母親をはじめ親せきが住んでいるということだった。
しかし、ジェーンは家族から帰ってくるのを拒否されたのであった。お金もないし、いまさら引き取れないと。彼女は結局施設に残った。職業訓練に通いながら、仕事を見つけて独り立ちするという。しかし、今いる小さい子どものたちの教育費ですら払えないのに、職業訓練に通えるかわからないし、彼女が自分で家を借りて一人で生きていけるほどのお金はない。もちろん貯金だとない。彼女は一生この施設で暮らすか、良い旦那さんを見つけて嫁ぐということしか思いつかない。
ジェーンの施設生活で気付いたことは何でしたか?
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彼女は母親や親族がいるにも関わらず、施設にいた。
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施設にいる間、定期的に家に戻ったりして関係を切らないということをしていなかった。
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施設に長くいて、他に知り合いもいないので、仕事を紹介してくれる人はいない。
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家族に帰ってくることを拒否されたことで精神的にもかなり落ち込んでいるが、施設長は和解の交渉を少しずつ進めることはせずにすぐに諦めてしまった。
ジェーンはアフリカの子どもに住む典型的な施設の子どもです。
子どもの定義は18歳までのなので、だいたいが高校を卒業する、または18歳に達すると、孤児院を出ていけという雰囲気になります。他にも入所したい子どもたちがたくさんいるので。子どもが大きくなればなるほど、教育費も食費もかかるし。
大変残念ではありますが、女の子の多くは、施設で家事を手伝いながら、小さい子どもたちのお世話を見ながら暮らし、少ないお小遣いをもらってタウンに遊びに行く中で、男性と知り合い、子どもが出来て、男性に捨てられるというパターンです。そうして、シングルマザーとして生きていきます。貧しかったり、食べ物がない場合、その女の子が育児放棄したり、子どもを捨てることもあります。
子どもの貧困の悪循環はこうやって成り立っています。