アフリカ大好き~国際協力で戦う36歳・りさぴょん日記。

アフリカ、女性の国際協力のキャリヤや経験を書き残していくためのブログ。

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危険な思い込みーKISEKI@ルワンダでのボランティア2日目

アフリカ大好きりさぴょん(@LisapyonKenya)です。

2022年11月にお世話になったKISEKIのボランティアプログラムに参加した時に感じたことを書いていきます。KISEKIのボランティア2日目~!

 

 

目次

 

1日目の記事はこちら。今回は、2日目に感じたことを書いています。

www.lisapyon.com

2日目に、ボランティアプログラムに参加した大学生が最後に目標と振り返りの発表をしてくれてそこから、いろんなヒントをもらい、私自身色々考えるきっかけになりました。

"先進国"から来た私たち

「日本が正で、ルワンダが負だと思っていました。」

という大学生。「日本が正で、ルワンダが誤」という意味なのだろうか。負というのは彼女にとってどうゆう意味だったのだろうか。

これは、多くの人が途上国に来て気付くことですよね。私たち先進国の人は無意識に「日本の方が進んだ社会にあって、たくさんの知識を持っていて、先進国の人は何も知らない、または間違った知識を持っている」と考えがち。この意識は、日本の学校の教育やテレビやインターネットからの偏って情報であろう。

「アフリカは貧しい。」

「アフリカでは子どもが教育を受けられない。」

「アフリカでは、医療が発展していない。」

アフリカには54カ国もあり、一つひとつ異なる国で、国の中でもいろんな民族や文化、価値観、外見の人がいる。一般化して、「アフリカは~」表現するのは難しい。しかし、多くのメディアで誤解を生みだしていると思いません。アフリカに来たことがある人は感じると思います。日本では「幸せ」と感じて生きている人が少なく、ストレス社会ですが、アフリカの豊な文化や価値観の中で「人生が楽しい」と思えることが毎日あります

そして、アフリカにきてみると私たちがアフリカを貧しい国々とみていることが間違いだと感じます。

「アフリカにはお金持ちもいて、日本人の方がボロイ服を着てることもある。」

「私立学校に通って、多言語を習得しながら、質の高い教育を受ける子どももいる。」

「ドローンを使って血液を輸送する取組みが始まっている。」

 

日本人なら「アジアというのは勤勉な人たちだ」とひとまとめに言われて、「いや、アジア人って誰?w東南アジアと東アアジアでも文化が大きく違うし、東アジアといっても、韓国、中国とも違う。日本国内でもみんなが勤勉な性格なわけがない。」

一般化した物事の捉え方は危険ではないですか?

JICA海外協力隊でも、NGOでも、国連でも、「私たちが援助しないと」と考えている日本人が多くて、「自分たちが正しい」という姿勢が強い。KISEKIのボランティアの方はそれは間違っていると気付いたということで、KISEKIで現地の人と関わる中で、大きな気付きがあったんだと思う。ルワンダ人だから、日本人だからと言って何かが大きく違うことなんてないと私は思う。

私は最近、アフリカを好きになれない日本人に会う。とても残念に思う。その人たちに共通しているのは、現地の人やアフリカを見下しているということだ。同じ人としてみていない。だから、何か思い通りにいかない時に不満やストレスをすごい感じてしまう。現地の人も一人の人間でまったく異なった環境・文化で育ったので、こちらが期待していることが全部成功するなんて、おかしいとわかるはずなのに。そして、「時間を守らない」「言ってることを理解していない」「停電する」「水がない」「お店が夜まで営業していない」というのを日本と比べて文句を言って、不満を感じている。それは、日本人の私たちが現地の生活スタイルに自分が合わせられない証拠で、柔軟性がなく、融通が利かないということ。その場その場にいい面はあるはずなのに、見る姿勢もない。

友人A「夜はお店が開いていないので、ジンバブエは暇すぎる。」

私「ジム行ったり、勉強したり、映画を観たり、早く寝るから、別に問題ないと思うけど」

友人A「ジンバブエにいると時間が有効的に使えない」

私「・・・。」

ジンバブエという環境に文句を言って、自分が何も行動を起こさない言い訳にしているのか。

私たちが他の人から学ぶことも常にあって、それがアフリカの国において、アフリカの人であっても同じだと思う。自分の価値観でしか物事を考えられない人にならないように私も日頃気を付けている。もちろん、人間なので、主観を持っていて、主観を主張することも大切だけど、自分が思い込んでいるだけで、本当は違うのではないかと内省することは大切だと思う。

ということで、大学生からの気付きで私も再度気付くことができました。

どうして支援が必要な人に支援が届かないのか

とある大学生はルワンダに来てこう感じたようです。私はこれまでの経験を得て、考えた答えは複数あると思っています。

1. ODAは役に立ってる?

まず、ODAは国と国からの支援です。政府から政府から届ける支援というのは、外交の道具です。住民の個々のためではなくて、国のメリットになることをするのが政府です。国というのは、経済を成長させることによって、国民を豊かにすることを目指しています。GDPがよく国の豊かさの指標に使われますよね。経済力は世界と戦うためにも必要なものですからね。

日本が途上国を支援するのは外交上の理由で、良い関係性を作ることによって、日本から輸出するものを買ってもらったり、途上国からの安く資源を買うためです。特に日本は資源が乏しい国なので、資源の豊かな途上国とは仲良くしておきたいんです。

日本政府がジンバブエで、道路工事の支援をしていますが、それはジンバブエにとって輸出をするのに国境沿いの道路がきれいであれば、トラックが通りやすく、隣国にも行きやすいから。地域住民の生活をするための道路ではないです。輸出入に大切なトラックのためです。日本としてはジンバブエはそこまで外交上大切なパートナーではないので、他のアフリカの国に比べて支援額もそこまで多くないと思います。

ODAは国と国との支援なので、まずODAは個々の住民の生活に向上することを目的としていないことを理解すべきでしょう。

2. 支援が必要な人って誰?

支援が必要な人たちで誰を指しているのでしょうか。上記で書いたように外国人からきた私たちが途上国の人を「支援が必要な人」と決めつけてませんか?私たちは自分の生活をしている中で他の人と比べた時に自分に持っていないものを羨ましいと感じて自分が貧しいと感じることがあります。もし私がお金持ちの存在を知らなければ、「自分の給与が低い」「自分の家はしょぼい」と感じないんです。誰かと比較することで、自分が貧しいと感じる。そして、持っている資源ではなくて、持っていない部分に気持ちが言ってしまうのが、人間です。

NGOの活動で、シングルマザーを支援の対象とすることがありますが、すべてのシングルマザーが支援を必要と思っているわけでないです。ひとりで子育てをするのが大変ということもありますが、自分を大切にしてくれない男性と結婚するより、一人が良いと選んだ人もいます。母親と暮らして、ともに子育てを支援してくれる人もいます。しかし、外部が来た人が「あなたはシングルマザーだから支援の対象」だと言われたらどう思いますか。シングルマザーという人々は決して可哀そうな人たちではありません。

ケニアで感じたのは支援慣れして人々でした。数々のNGOや国際機関が入っているケニアでは驚くことに農村に行くと「私の家は貧しいので、支援をしてほしい」という。支援をしてほしいというのは具体的に何かと聞くと、「教育費の支援」「医療支援」等々よく知っている。その人たちの生活をよく観察すると、人に頼らなくても自分たちの生きているのに、「外国人からお金をねだる」「何かもらえないか聞く」というのが普通になってしまったのだ。

支援が必要な人っていったい誰なのか?お金をもらえれば解決?職業訓練?年金?教育費?カウンセリング?

支援ではなくて、多くの人は機会と選択が必要なのではないか。

私は常々思います。

他人から何かをしてあげるのを支援とするのであれば、困難な状況にいる人たちに支援をあげても、何の問題の解決にはならない。

3. 社会から孤立した人たち

NGOからの視点で考えてみます。NGOは予算や能力に限りがあるので、支援できる人に限りがある。ある村で片親の保護者たちに職業訓練を提供したいと考えた時に、現地の村長さんや教会の牧師さんに協力してもらい、”特に支援が必要な人”をリストアップしてもらうことがあります。

しかし、いわゆる支援が必要な人NGOがリーチしたい人というのは、社会から孤立しています。

・現地語が話せないので、情報にアクセスできない。

・民族や宗教が異なるために、村で仲間外れされている。

・聴覚に障害があるが、手話をできる人が身の回りにいないので情報がない。

・足に障害あるので、家から出られない。

・タブーチャイルドと言われる父親と娘の間にできた子どもであるため、世間とは関わりを持たないように生きている。

このような環境にある人は村の人たちとの関係から、疎外され、差別されており、村長や地域の重要人物からも、無視されていることが多くあります。村を歩いていても、出会うことが少なく、近所の人に誰が住んでいるのか聞いても、「知らない」「家に誰も住んでいない」という嘘をつかれることも多くあります。また、自分から社会に関わらないようにしている方もいます。

また、リーチできたとしても、NGOの支援対象にならない場合もあります。たとえば職業訓練のプロジェクトで言えば、ある一定の場所に集まってもらい、講師が裁縫の指導をするとします。

「現地語がわからない人には、通訳。聴覚に問題がある方には手話通訳者、必要」

「社会との隔離を希望している方には個別に指導の時間を設ける」

このようなここに応じた対応が必要になりますが、時間とお金がかかるので、こういった人たちを支援するのは難しいです。もしNGOが1年間で支援できたのが、”1000人”と聞いたら「おおー」となるけど、”5人”です。と聞いたらどう思いますか?

■寄付金100万円で今年は1000人の若者職業訓練をしました!

■寄付金100万円で今年は5人の若者職業訓練をしました!

これにて正しい答えはありません。NGOが何を目標として、優先させるかによって、アプローチ方法や受益者選定、お金の使い方が決まってきます。

本当に支援にしたい人に届かないというのは、下記2つのパターンがあると思います。

1. 支援したい人にリーチできない

2. 支援したい人にリーチしたがNGOの、能力と体制、資金の制限で支援ができない

今回は私も色々考える機会になりました。もっともっと書きたかったのですが、まとまらなくなりそうなので、また今後書きたいと思います。

アフリカ大好きりさぴょん(@LisapyonKenya)でした~