ジンバブエ生活2年7カ月を終えて、ケニアでバタバタする前に今の気持ちをまとめておきたいと思います。
目次
何もない国だから、新しい自分に出会える。
ジンバブエは、ケニアほど遊びに行くところやおしゃれな場所もなく、一人で過ごす時間も多かった。新しいことを始めるのは、日本ではハードル高いけど、ジンバブエでは完璧でなくてもいいし、他の人と比べるものでもないし、道具を譲ってもらえたり。
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ゴルフを始める。日本への一時帰国中に、日本のコースデビューで96!
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ペーパードライバー歴10年。ジンバブエで運転を覚える。
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トライアスロン。いつかやってみたいと思ってたスポーツを友人をきっかけて始める。
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裁縫。趣味で裁縫をやったことがなかったが、ミシンを買って、沢山バックを作ってプレゼントして喜んでもらえて嬉しかった。
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硬式テニス。この年ソフトテニスをこんなにやってない。
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フランス語。途中で断念してしまったけど、B1まで取った私を褒めたい。
こう考えると、よくお金を使ってるわ(笑)
私の今までの人生はソフトテニス命。いざ、テニスを離れると今まで触れることのなかったことにチャレンジできている。今までのテニスにぞっこんの自分も好きだけど、こうゆう時間をとれてよかったと思う。テニスができない時間があるからこそ、テニスをしている時間が尊いと思う。
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毎週毎週上手くなりたいと練習する。
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会社に向かう電車で昨日テニスの試合の動画を観て、電車を乗り過ごす。
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大内先輩とどうゆうテニスをしたいのか、まじめに語る。
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千石クラブのメンバーで東京で優勝するためにみんなで練習する。
そうゆう時間があったからこそ、私はここにいるんだと実感する。
教員免許の取得
ジンバブエで就職にするにあたり、海外生活の中で、何か勉強を続けたいと思った。障害の子どもの支援を今後できるようにと考えて、その中でも日本に帰国しなくても取得できそうな資格として、「特別支援学校の教諭免許」を取得。正確には授業が残っているので、資格はまだ取れていないが、全部の科目を取得が終わり、あとは栃木県に申請するだけ。免許を取得して今後の仕事に活かせるようにというのが、目的だったが、オンラインで3年学生をやることで得たのは別のものだったと思う。
2022年高校教育実習と2023年特別支援学校の教育実習は、自分の人生の価値観を変えるものだった。
今後教員にはなる予定はないがい、教育実習を楽しいと思えて、教員という仕事もいいかもと思えた。これは、大学生で教育実習に来ていたら、感じられなかったと思います。社会に出て、色んな仕事を経験し、海外でもいろんな学校の状況をみてから、日本の学校教育現場に土足で入ってみると、見える景色が違う。教員という人たちは、面白い人たちだなと思ったし、教育現場が抱える問題を体験できた。
また、もう一回学校に戻ることで自分がこのような教育を受けてきたから、今の自分の思考ができているのだと感じることもできた。教師のせいではないが、日本の学校教育は、融通が利かず、生徒がクリエイティブに考える体験が少ない。教員がいくらそうゆうことをやりたくてもカリキュラムに沿わないといけないし、期末試験に合わせて他のクラスと同じ授業を実施しなければならい。英語も活きた英語ではないし、何か意見を自由に言うような時間もない。Disccussionに強い人が育つはずがない(笑)
旅行
この2年7カ月、旅行に沢山行きました。今までにもらったことない金額の給与をもらい、私は散財しました(笑)
ジンバブエ国内は、ビクトリアフォールズ、グレートジンバブエ、ニャンガ、マナプールズと色んなところに友人と行けました。その中でも、マナプールズのサファリが別格だった。今後、サファリをしてこれを超えることがあるのだろうか。
アフリカ旅行は、自分探しの旅でもありました。コロナ明けで私が行った国は、そうケニア!実は、2年7カ月でケニアに3回行きました。(笑)
1回目のケニアは、シロアムの園でボランティアをさせてもらいました。障害のある子どもの支援をしたいけど、具体的に私に何ができるのだろうか。3週間のボランティアを通して、公文先生と沢山お話をして見えてきたものがありあした。
何を思ったのかダイビングの資格を取った。なんで資格取ろうと思ったのか、忘れた。そして、海のデビュー戦は、モーリシャスで!海が潜りやすくて感動した。
ルワンダでは、KISEKIの訪問をきっかけにソーシャルビジネスに興味を持ち、自分の方向性を少しずつ見つけることになりました。山田美緒さんには感謝!
おカネと向き合う
大使館の仕事は初めてで、色々考えさせられました。
前職がNGOだった反動もあり、3倍近くのお給料が出て、庭付き一軒に住むことに。コロナもあり、仕事は全然忙しくないので、たっぷり自分の時間を持つこともできた。
大使館の仕事をして、給与をもらうことで、オンラインで大学に通い、オランダの大学院の借金も返し、貯蓄して、旅行に行き、フランス語に学ぶことができた。
お金があるということは選択肢が多くなるということを痛感した。
ブランド品とかは興味はないけど、何か新しいことしたいと思った時に、パッと使える2-3万円がある生活。月給25万円だと、旅行に行くことも難しいし、外食も控えて節約しなければならない。
しかし、この大使館生活でちゃんとお金を貯めれなかったというのも思い知った。(笑)私は貯蓄が苦手でお金は使うもので貯めるものだと思っていない。
そうゆう生活をしてきたので、いざ起業をしようと思った時に貯金がないし、今後生きていくために投資もしてこなかった。
先日の日本帰国で美容院を始めた友人にどうやって美容院を開業するためのお金を集めたのか聞いたところ、貯金だと答えた。今まで美容院勤めでそんなに稼ぎもいいわけでないのに、開業に必要なお金を貯めてきたと。正直驚いた。
私と真逆な人が貯金で起業を叶えている。
経験をお金で買ってきた。人生を豊かにしてきたという自負はある。でも、起業家になるなら、今後お金の使い方は考えないと思った。
チャレンジ
さて、私は次のステージに向かう。
今まで興味のなかった起業。やりたいかもと思い始めたので、昨年。私は今パートナー・子どもがいないことで、今回の決断も早かったと思う。
結婚や出産。同世代をみれば、中学生の子どもを持つ親だ。羨ましいと思ってる。30前半は、友人の結婚や出産が妬ましく、心から祝えない時期があった。辛かった。私は選ばれない人間で、誰かと一緒にいれないほど性格が悪いんだと思ってた。
が、私はずっと結婚したいと思っていたのに、そうでもないことに気付いた(笑)。周りの環境に流されていただけだった。でも、これは身近な友人に言われて気付いた。今もパートナーを持ちたいと思うが、パートナーを持つをことを優先して、日本に帰るという選択は取らなかった。ソフトテニスで日本一を取るために日本に帰る選択肢もあった。私は自分で一番やりたいことは、自分の夢を叶えることだ。
「アフリカの子どもたちが家族と安心して暮らせる社会を作りたい。」
「三関さんは昔からやりたいことは変わってないよ」
協力隊時代(2014年~)にお世話になったメンターに言われた言葉。胸が熱くなった。自分が芯がブレずにいること。それを見守ってくれ、応援してくれる人がいること。
私の人生は私が決めていく。
こういった当たり前のことができるのが、日本に生まれた私だというのも実感した。ジンバブエで大学に行きたくてもローンがないので、行けない。私が親にお金がなくても、ローンを借りて大学を卒業できた。そして、お金を返せるだけの会社に勤められた。そこからキャリアを作れた。また、ローンを組んで大学院留学できた。英語も難なく話せるようになった。
今の世界は不公平だ。生まれた環境次第で歩む人生は違う。
スーパーお金持ちの人からしたら、私の人生はつまらないし、遠回りの人生かもしれない。
それでも、私は自分の選択肢を広げて、その選択肢を自分で選んでいる。
そして、その選択肢を広げて選ぶ時に私は一人ではない。いろんな友人や仲間が知恵を貸してくれて、自分を高めてくれる。
女性起業家講座で、自分の会社を紹介するときに説明の仕方の工夫を教わった。
「私はケニアで障害のある子どものお母さんの雇用を生み出す会社を経営しています」
これだと「ケニア」「障害」というキーワードを聞いただけで、自分には関係ないなと思ってします。
「孤立から脱却し、自分で選択できる機会を提供できる会社」
と、言ったら、「ん?」とどうゆうことと興味を持ってもらえると思う。
障害を理由に孤立して、社会に乗り残された障害のある子どもとその家族が、自分の人生を自分で選択できる社会になるために、起業します。